走れ貴族

思ったことを書き散らします。

自己紹介


俺は女性をめちゃくちゃ性的な目で見る。
仲良くしている様を思い浮かべ、セックスに興じているところを想像する。重要なのは性交そのものではなく、互いが相手を想いあっている前提だ。その妄想を異常だとは思わないが、程度で言うならおそらく人よりもかなり高い頻度で、そういう思考に耽っている。分かりやすく言うならば、エロゲーのヒロインに相手を嵌め込んで攻略シナリオ全体を楽しんでいる、そんな感じだろう。消費の的として見ない相手はごくわずかで、それらは極めて好まざる容姿であるか、極めて好まざる言動をするか、どちらかだ。たいていの相手に対して脚本をイメージし、あんなことやこんなことを頭に浮かべる。

 

同時に、道行く人にはほとんど関心を払わない。
雑踏を行き交う見知らぬ顔が、容姿が、どれだけ美しくどれだけ劣情を催すものでも、だいたいは覚えていない。それらは俺の世界にいないからだ。俺の世界にいるものは、俺と関わりを持つものだけだ。今しがた肩の触れ合う距離で知らない化粧の香りを残していったあの人も、顔のないモブでしかない。登場人物にはなり得ない。

 

自分にとって恋愛とは、関係に酔うことだ。攻略ルートを作り、失敗のないようになぞり、成功確率を80%90%まで上げて、半ば最終確認のような告白を実行する。その過程を楽しみ、結実の瞬間を楽しむ。俺はけっこうサービス精神が旺盛だから、基本的に相手のやりたいことを尊び、相手の喜ぶ姿を見て是とする。シナリオにはたくさんのイベントがひしめいていて、どのシーンを消化しようか、どんな企画を補充しようか、常々考える。
これを読んでしまった方は筆者がどんなイケメンチャラ男の遊び人か想像を巡らせただろう。そうであったならどれだけこの遊びがもっとスムーズに進められたか、俺自身が一番残念に思っている。が、まあそれでも良い人ぶるのは割と得意で、生来のチキンさと理屈屋ぶりが適切な距離感を演出するのか、確かに人と仲良くするための第一関門は突破しやすい性質を持っていると思う。

 

ここまでの話をまとめると、「人と知り合ったそばからワンチャンありそうな気配を探り出し、いけそうと感じたら恋愛開始」というのが自分の行動原理になる。
いやそれは恋愛じゃないだろ、と思った方。俺もそう思う。こういうのはいわゆるヤリモクの手法っぽい印象だ。そして実際俺の目的はそれに近い。
今まで俺は、自分の望みが恋愛関係全体の構築にあると思っていたが、おそらく実際のところはそうでない。セックス単体が目的になっていないのは、俺の性癖的にセックスのみでは楽しみ切れないからだ。世の中にはいろんな趣味嗜好を持つ人がいて、俺の場合はイチャラブが必須となる。NTRや暴力、一方的な欲求のみが支配する描写は食指が動かない。だから自分のもっとも楽しめる営みを構築するために、まず真っ当っぽい恋愛成就を目的とする。そうすれば好みのメニューをいただける。

 

要するに好きな人なんていない。それっぽい関係が作れれば、そこがゴールだ。あとはそのぬるま湯でほろ酔いになって、気持ちいいまま過ごしていたい。一番良くないのは関係の破壊だ。だから相手に合わせる。自分の欲求を口に出して、風呂桶にひびが入ったらどうする。のんべんだらりとしていればいい。関係を成就させられたということは、その時点での自分が高く評価されたということだ。だったら波風立てる必要はない。自ら動く必要はない。肯定された自分のまま生きる。承認欲求と性欲をコンスタントに満たす、甘い蜜壺が欲しいだけだ。人が好きかどうかはベッドで自分に言い聞かせればいい。

 

 

 

さて。

 

 

 

ここに一人の女の子がいる。この女の子は確かに俺と付き合っている。けれど、すべてが受動的だ。うちに来ても俺とは話さない。俺が声をかければ返答を返すし、外へ誘えば一緒に来てくれるが、能動的な働きかけが何もない。付き合う前まではそれなりに饒舌で、積極的なやりとりがあったのに、関係が始まったとたんにピタリと止んだ。家に来てもらって行われるのは、アニメ鑑賞とゲームと食事の準備だけ。メシは美味いが、まるで満たされない。


いろんな手を考えた。例えば、俺のアプローチが足りないのではないか。俺以上にチキンで引きこもりな性格で、こちら側から抉じ開けるアクションが必要なのでは? しかしこのプランは実に簡単に頓挫した。俺に彼女のことが好きという感情がないからだ。クズなのは事実なのだが、なぜかそこにこれ以上の嘘がつけない。
距離感を今の相手に合わせればいいのでは? これもダメだった。実際にやってみたがダメなのだ。相手が「ちょうどいい」と宣った距離感は、俺が彼女に無関心を貫くことでようやく実現できたものだった。そんなんイチャラブと真逆じゃないか。クソだ。

 

「俺に関心を持ってほしい」彼女にそう伝えて返ってきた言葉は、「どうすればいいか指示して」という旨だった。
そんなやり取りはまるで初めてのことで、俺はひどく悩んだ。本当に奇妙だった。彼女には指示を受けてその可否を判断し、可能であれば実行する意思があるらしい。でもその口ぶりを聞くに、自分で問題解決に働きかける意思は感じられない。そりゃそうだ。それが彼女の基本スタンスだからだ。たぶん俺以上に、彼女は他人に興味がない。付き合うことになるまでは、他人との交流に必要なコミュニケーションという義務が彼女を動かしていた。しかし俺が己のチキンさと貞操観念の固さ故にライン引きしていたのを、彼女は「この人は自分の理想と同じ距離感を持っている」と判断してしまったのだ。「一緒にいて楽」という言葉は「一緒にいてストレスを感じない」ではなく、「ひとりでいるのとほぼ一緒」という意味だったのだろう。それって人間二人が同じ空間にいる感覚として、はっきり言って終わってる。

 

で、ああでもないこうでもないと無い頭を捻りに捻って、気付いた。
これは他人から見た俺なんだ。

 

関係の表面をなぞって満足していたことも、波風立てないよう相手に合わせる姿勢も、笑えるくらい同じだ。「どうしたらいいか指示して」? 俺が今までどれだけの間、その言葉と同じ気持ちで「君に合わせるよ」と言ってきたか! 彼女は「好きという感情がまだはっきり分かっていない」と言っていて、自身のやっていることに無自覚な以外は本当に俺の生き写しだとすら感じる。俺はさすがに二人でいて相手に話しかけないなんてことはしないが、それだって程度の問題だろう。俺から見た彼女がおかしなように、人から見た俺もまたおかしな人間に違いない。

 

そして同時に思い至った。俺には好きな人がいた。
同じ状況になったとき、まるで抵抗なく「好きだ」と言って抉じ開けにかかれる相手がいた、その事実に突き当たって俺の頭は爆発した。めちゃくちゃになった。そんなことあるか? あった。
その人は俺の恩師だ。育ててもらったと言って過言ではない。付き合った期間は一年もなかったが、今の俺が自己実現に向けて幾ばくか努力しているのは、その人が最後に俺の背中を蹴っ飛ばしてくれたからだ。そこで考えたあらゆることが、今の内省のきっかけであると言ってもいい。
ぬるま湯に浸かっている間、そんなことは微塵も考えなかった。当時の自分を恨めしく思う。それでも幸いなことに、今の自分はそれを考えることができる。
別れたときに涙が出なかったのは、好きじゃなかったからじゃない。その顛末のすべてに納得したからだ。納得できたのは誰のおかげだ?

 

つまらない成功譚だ。俺は気付けた。運が良かった。他の誰も共感しえない、俺だけのラッキー。

 

それでいい。
これは自己紹介で、お涙頂戴の感情サプリじゃない。

 

今俺がしたいは、今の彼女に俺の気付きを示すことだ。
自分のこれまでの過ちを認めるのはたやすい。その過ちを理由に、関係を終わらせるのもたやすい。だが俺が受けてきた施しを、俺が納得してありがたがるだけで済ませるのは、俺の沽券に関わる。良い人ぶりたいのだ。徹底して。誰も見ていなくても。

 

これは自己紹介だ。

思考の墓場じゃない。